年末には各メディアが特番をくみ、被災地の震災発生時や今の状況を報道していた。しかしながら、実情はまだまだ伝え切れていないのではないだろうか。
クリスマス・お正月と季節は過ぎ去り、私たちの記憶からも震災ということは既に過去のこととなりつつあるような仙台圏の状況。
被災地である同じ宮城にいても、震災に対しての捉え方・考え方・温度差があるように感じている。仮設住宅に避難している方々の現状はどうなのか?
毎日、自分たちの街を見渡すことが出来る高台の仮設住宅地区。
しかしそこには見慣れた街ではなく、依然残っている瓦礫の山や取り壊していない病院・商業施設と道路のみである。
子供達のにぎやかな笑い声も各家庭からこぼれる部屋の暖かな光もまだまだ少ない。朝一番の仕事が窓拭き。室内と外の寒暖の差で結露が酷い。
気づかずにそのままにしていた12月。窓の下の本棚と壁の間にカビが発生したようだ。防寒対策として、外壁への断熱材工事は終わったが何処とも無く冷気が入り込んでいるようだ。決して広いとはいえない部屋。しかし、寒い…
既に設置されたエアコン以外の暖房器具を置くことも出来ない。
なぜか?介護用ベッドとコタツ。これだけで6畳間はいっぱいなのである。
日々使う食料品や生活雑貨の調達。生活圏に販売店がない。
歩いて6kmの山道をこえ、以前当たり前のように利用していた店はまだ無い。あるのは、仮設のコンビニエンスストア。徐々にではあるが、仮設の商店街は出来ているようだが品揃え・価格は満足できるものではない。移動販売車も定期的に来る仮設住宅地区もあるが、すべてをまかなうことは出来ない。車を運転できれば、1時間かけ隣の町へ買い物にもいけるのに…その移動手段である車がない…
入浴したくても浴槽は高く、高齢者には入りにくい。夏場はまだシャワーだけでも良かった。手すりも必要な場所に設置されておらず使いにくい。洗面台と一緒になっている洗い場は風呂椅子を置くだけでいっぱい。とても、2人が入ることは出来ない。
風除室や外壁断熱工事・一部スロープ設置・砂利からアスファルトへの変更など徐々にではあるが、仮設住宅の環境は整備されてきている。
しかしながら、まだまだ私たちも考え、物資のみならず様々な支援をしていくことが必要であり、実行に移さなくてはならないと想う。
福祉用具事業部では、昨年の10月頃から、石巻や女川、南三陸方面へお邪魔する機会が多くなった。
福祉用具事業部